『堀部安兵衛武庸』 特集ページ

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忠臣蔵で語られる赤穂義士の中でも、剣豪として名を馳せた堀部安兵衛。その勇気と義理を重んじる生き様は、武士道の象徴として今も歴史好きの人々の心を魅了し続けています。
ここ新発田は、安兵衛が生まれ育った城下町。城下の面影を残す街並みと、彼の足跡をたどるスポットが点在しています。彼の武士道に通じる原点に触れながら、歴史浪漫あふれる新発田の街を旅してみませんか?

堀部安兵衛とは?


1670年、新発田藩士の家に生まれた堀部安兵衛。江戸に上京後「高田馬場の決闘」で名を馳せ、後に忠臣蔵として語られる赤穂浪士の一人として活躍します。義理と武士道を貫いたその生き様は、今も多くの人を魅了しています。

堀部安兵衛とは?

歌川国芳による浮世絵「誠忠義心伝 織部易兵衛武庸」※当時の世相を反映し実名を使用していない

1. 新発田で生まれた剣豪

寛文10年 (1670年)、新発田藩士・中山弥次右衛門の長男として誕生。母を早くに亡くし、母方の祖母に育てられましたが、その祖母は初代藩主・溝口秀勝の六女。名家の血筋を持つ安兵衛は、父から剣術を学び、幼少期から鍛錬を重ねます。さらに、剣の道だけでなく学問にも励み、武芸と知性を兼ね備えた人物へと成長しました。後に「赤穂浪士一の剣豪」と呼ばれるほどの人物に大成できたのは、天性の剣術の才と弛まぬ努力や向上心があったからこそと言われています。

2. 江戸で名を馳せた「高田馬場の決闘」

19歳で江戸へ出た安兵衛。ある日、安兵衛を一躍有名にする事件が起きます。それがご存知「高田馬場の決闘」。安兵衛は助太刀として参加。事実は相手方3人を斬り倒しただけですが、この噂は瞬く間に尾ひれ背びれがつきながら伝わり、ついに「十八人斬り」となり、安兵衛の名は江戸中に広まりました。

3. 「赤穂浪士 堀部安兵衛」誕生!

「中山安兵衛殿をうちにお迎えしたい」と安兵衛のもとに凄腕の噂を聞いた 大名家の使いが殺到します。そして、安兵衛は赤穂城主・浅野家の家臣、堀部弥兵衛の娘を妻とし、堀部家の養子になります。こうして、赤穂藩士・ 堀部安兵衛が誕生したのです。そして安兵衛が浅野家の家臣になった7年後、いよいよ忠臣蔵の幕が上がります。

4. 赤穂事件(忠臣蔵)では四十七士の一人としての活躍

1701年(元禄14年)、主君浅野内匠頭長矩が江戸城殿中、松の廊下で吉良上野介義央に斬りつける刃傷沙汰を起こします。
浅野は即日切腹。さらにお家は断絶、領地は没収され、安兵衛をふくめ赤穂藩士はすべて失業という厳しい処分が下されました。しかし、高家の吉良家にはお咎め無し(通常であれば喧嘩両成敗)。

安兵衛はこの不公平な扱いに対し強い憤りを抱き、主君の無念を晴らすべきと仲間に強く進言をします。そして元禄15年12月14日、大石内蔵助率いる赤穂浪士四十七士の一人として吉良邸へと討ち入りを果たします。安兵衛は大太刀を振るい、獅子奮迅の戦いを見せました。義理と誠を貫いたその姿は、忠臣蔵の登場人物の中でも屈指の人気を誇ります。
なお、四十七士は吉良邸討ち入り後、幕府に自首。元禄16年(1703年)2月4日、四十七士には幕府より切腹が命じられました。堀部安兵衛、享年34歳。短い人生に幕を閉じました。

※幕府が打ち首ではなく切腹(侍の名誉を傷つけない死に方)を命じたことで、四十七士は罪人ではなく「忠義の士」として後世に語り継がれることになります。

5. 安兵衛の魅力 ― なぜ今も人を惹きつけるのか

剣の強さだけでなく、仲間を思う心、義理を重んじる精神、主君への忠義。安兵衛の生き様は、現代にも通じる「誠実さ」と「勇気」の象徴です。だからこそ、忠臣蔵や講談で語り継がれ、300年以上経った今も人々を魅了し続けています。

安兵衛ゆかりの地を巡る
モデルコース


忠臣蔵の義士・堀部安兵衛ゆかりの地を巡るモデルコース。新発田城や清水園など、歴史と四季の美しさを楽しめるスポットを歩きながら、安兵衛の生涯に思いを馳せてみませんか?

START!新発田駅
バス or タクシー (約10~15分)
新発田城(日本百名城)

新発田城(日本百名城)

新発田藩の象徴であり、堀部安兵衛が生まれた藩の歴史を物語る名城です。三階櫓と石垣が美しい城跡は、春の桜、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の表情を楽しめます。
城内の辰巳櫓は、本丸南東に位置する二層二階の櫓で、かつて安兵衛の父が管理していました。櫓焼失の責任をとり浪人となったことは、安兵衛が家名再興のため江戸に出る一つの要因となりました。辰巳櫓は三階櫓とともに2004年に復元され、現在は一般公開されています。※冬期閉鎖期間中(12月~3月)は城址公園からの眺めをお楽しみください。

徒歩 (城址公園へ)
堀部安兵衛武庸像

堀部安兵衛武庸像

本丸表門前の城址公園内には、安兵衛の旅立ちの姿を表した銅像が、江戸に向かって凛々しく立っています。また、近くにはお休み処「安兵衛茶屋」があり、休憩所や観光案内所としても利用できます。土産品や御城印・日本100名城の城カードの購入もできます。※安兵衛茶屋は冬期期間(12月~3月)は休業。

徒歩 (約10分)
菓匠庵 寿堂の『助太刀もなか』

菓匠庵 寿堂の『助太刀もなか』

明治38年創業の老舗「菓匠庵 寿堂」が手がける人気商品。刀の鍔をかたどった最中に、コーヒー・抹茶・いちご・プレーンの4種類の生チョコを詰め込んだ、和と洋の融合スイーツです。見た目もユニークで、贈り物や旅の思い出にぴったり。

徒歩 (約5分)
武庸橋

武庸橋

新発田出身の赤穂義士・堀部安兵衛武庸の名を冠した木製の橋です。2013年に新装され、江戸時代の趣を感じられる佇まいが魅力。歴史の息づく風景の中で、安兵衛の名を刻むこの橋を渡りながら、城下町の情緒を楽しんでみてください。

徒歩 (約3分)
長徳寺(生家 中山家の菩提寺)

長徳寺(生家 中山家の菩提寺)

新発田城下にある「長徳寺」は、安兵衛の生家である中山家の菩提寺として知られています。幼い頃の安兵衛は、この寺の境内で遊び、寺子屋に通ったとも伝えられています。


手植えの松

手植えの松:安兵衛が江戸へ旅立つ際に植えたと伝わる松の二世が境内に残り、歴史の重みを感じさせます。

安兵衛の墓

安兵衛の墓:泉岳寺に眠る安兵衛の遺骨の一部が分骨され、長徳寺にも墓が建てられています。

義士堂(市指定文化財)

義士堂(市指定文化財):赤穂四十七士の木像を収める堂。天井には昭和初期の著名人による書画が飾られ、荘厳な雰囲気が漂います。※見学には事前予約が必要

義士 堀部安兵衛碑

義士 堀部安兵衛碑:手植えの松のそばに立つ石碑で、裏面には安兵衛の出自、江戸上京の経緯、赤穂義士としての活躍、そして建碑の由来が刻まれています。

徒歩 (約12分)
清水園

清水園

新発田藩溝口家の下屋敷として造られた回遊式庭園。池泉や茶室が織りなす景観は四季折々に美しく、静かな散策に最適です。歴史と自然が調和する空間で、城下町の風情をゆったりと楽しめます。

徒歩(清水園内併設)
堀部安兵衛伝承館

堀部安兵衛伝承館

清水園内の蔵を利用した資料館で、安兵衛の刀や書、生涯を紹介する展示が並びます。忠臣蔵や「高田馬場の決闘」の背景も学べる、歴史ファン必見のスポットです。

徒歩 (約3分)
佐々木食品『安兵衛漬』

佐々木食品『安兵衛漬』

赤穂浪士一の剣豪と称された堀部安兵衛の名を冠した、新発田ならではの逸品。安兵衛がお酒好きだったことにちなみ、越後味噌に地元酒蔵の吟醸粕と上越地方の香辛調味料を隠し味に加えた特製味噌で漬け込んでいます。甘すぎず塩っぱすぎない絶妙な味わいで、焼けば香ばしい香りが広がり食欲をそそります。

徒歩 (約3分) GOAL! 新発田駅

剣道の見学・体験も
できます!


剣道の見学・体験もできます!

稽古日時:月曜日・木曜日(祝祭日を除く)19:00〜
場所:新発田市カルチャーセンター 剣道場 (新発田市本町4丁目16)
対象:子供から大人まで
参加方法:連絡不要、直接会場へ
詳しくは新発田市剣道連盟のホームページ や SNS をご確認ください

安兵衛モチーフのお土産品


城下町の旅には、歴史を感じる味わいも欠かせません。新発田には、剣豪・堀部安兵衛をイメージしたお菓子や食品があります。物語にちなんだ逸品を旅の記念やお土産にぜひどうぞ。

安兵衛モチーフのお土産品

菓匠庵 寿堂『助太刀もなか』
(Googleマップ)

安兵衛モチーフのお土産品

佐々木食品『安兵衛漬』
(Googleマップ)

関連イベントも毎年開催!


新発田市では毎年12月14日に、安兵衛を偲び、彼の生家中山家の菩提寺である長徳寺で「義士祭」が開催されます。義士祭では安兵衛の法要をはじめ、詩吟、剣道形の披露、赤穂義士に扮した少年少女剣士による市中パレードなどが実施されます。無料で「討ち入りそば」の振る舞いもおこなっています。

関連イベントも毎年開催!
武士道の心と剣豪の足跡が息づく城下町、新発田へぜひお越しください。 歴史浪漫あふれる街並みが、 あなたをお待ちしています。 武士道の心と剣豪の足跡が息づく城下町、新発田へぜひお越しください。 歴史浪漫あふれる街並みが、 あなたをお待ちしています。

関連ページ紹介


新発田市YouTubeチャンネル
 (新発田の観光紹介動画が多数あります)
堀部安兵衛紹介ページ
 (新発田市観光協会)
「堀部安兵衛武庸」紹介動画
 (新発田市立歴史図書館)
(東京都)曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺
 ※赤穂四十七士墓所